シェフからのサービス この日はチャナマサラ、う~ん美味い。 この前より幾分ドライ、まぁ誤差ともいえる。 しかし美味すぎるな、この量が丁度いいのかもしれん。 |
サラダ。 最近、このくらいのクオリティーでないと サラダを外で食べる気がしない。 相変わらずこのドレッシング最高! |
コンソメ。 前に飲んだ時よりおいしい気がするぞ。 やっぱりコースでは、スープ大事。 でも単品で頼まないんだよね…手間暇かかってるのに 日本では金取れないなんて割に合わんよな。 |
牛肉のペシャワリーアチャール。 こちらはアラカルトから。 なんか牛肉のしぐれ煮の酸っぱスパイシーな版。 これおつまみ的に食べるのもいいけど ライスとのコンビネーションが最高。 これでご飯二杯くらいいける! |
ラム・ラージャ・カバブ こちらもアラカルトから スパイスをまぶしたラムをロゼに焼き上げた一品。 今まで食べた中で最高のラムの焼き物だ。 美味しすぎて悶絶した。 焼き加減も絶妙、肉の美味さが迸っている。 |
牛肉の赤ワイン煮ビーフカレー。 赤ワインの風味が肉の中に良く沁みてる。 味見させてもらったが濃厚なソースだが嫌な重さではない。 最近、この「嫌な重さ」について考えるが 実際その正体はなんだろうな。 やっぱり小麦粉や生クリーム、カシューナッツ類の使用過多かな。 |
ラムムガライ。 子羊のムガール宮廷料理。 美味いね~、ため息が出るほどに。 ラム肉自体の美味さを堪能するなら 間違いなく焼き物の方がいいが これはやっぱりグレービーの美味しさが半端ない。 コクのある深い味と香りの構成、後から来る辛味、満足としか言えん。 やっぱり美食を求めるなら貴族の料理なのかね。 |
それをこのふわトロオムレツにかけて食べる喜びときたら… 最近、再びオムレツ道に入った私は 朝食にオムレツを練習しているが いつかはこれくらいのオムレツを容易く仕上げたいものだ。 |
感動のあまり、デザート撮るの忘れていたが この日も三種食べている。 ハルワ、ムース、ガトーショコラだったかな…。 デザートとこのチャイを飲むと エネルギー充填完了のお知らせ。 |
注)今回の以下の文面は、普段より多分に妄想が含まれております。読まれる方は留意ください。
デートとはなんぞや…。
異性と連れだって一定時間行動を共にすることか?
否、ただ異性というだけでは足りん。
母親と食事に行っても、それを我々はデートと呼ばん。
というか呼びたくない!
イタリア人とかは「今日はマンマとデートさ、チャオ☆」
とか言いそうだが、これでも私は
腐りかけてはいても日本男児。
うちに潜む大和魂が、そのような軟弱そうな発言をすることを許さない。
では如何な異性か。
これは考えるに「のちに恋愛関係に発展しそうな、或いは既にそのような関係にある異性」である。
「いいお友達」との食事をデートと呼ぶことに
私は些かの躊躇いをもつのである。
紳士淑女諸君、デートという言葉に行為に、もっと幻想的で神秘的な価値を見出そうではないか。
現実ばかり直視していては、目が腐りそうな気がしないか。
男女関係における現実ほど、気分を沈ませるものはこの世にないのではないか
と、近頃私は考える。
もっと考えるべきことは、他に幾らでもありそうだが
それは私の問題ではない。
もっとも現実を見ていないキラキラした目の奴も
それはそれでムカムカするものだが、それも今は関係ない。
さて、ついこの間、Nagarjunaでデートをしてきた。
美味しいお店があるから食事にいこう、と誘った。
文字にすると、実に浮ついた、そして使い古されたセリフ具合に拍車がかかるが
実際このセリフの威力は絶大である。
上記の言葉を二分して「お店があるんだ。ご馳走するから~」と
いう風につかうと、まず失敗のない誘い文句になる。
それで失敗するようなら、自分の日ごろの行いを一度振り返ってみた方がいい。
石橋を叩きまくりながら渡る私が、どちらを用いたかはいうに及ばずである。
ただで美味しい食事にありつける、と私の誘いにのった
少々あさましいところのある女性は
だがそれなりに知的な雰囲気を蓄えつつ
浮ついた空気はないが洒落っ気がないわけでもない
10人に聞けば、5、6人はキレイと言いそうな
そういう人である。
彼女は私にとって、所謂「いいお友達」である。
「待てや、この野郎!さっきというとることちゃうやんけ!!」
という突っ込みを入れるのはまだ早い。
「いいお友達」からそれ以上の関係になった例など
古今東西掘ればいくらでも出て来る話ではないか。
まぁ尤も、それ以上に進もうとしても「いいお友達」の壁の前に涙をのんだ例の方が
きっと多いのだろうが、それも今は脇に置こう。
要は、これは各自の認識の問題であると思うのだ。
誘う側が、今後の展開に淡い下心を抱いていれば
その者にとってそれはデートであるし
この場合、誘われた方の認識などどうでもいいし聞く必要もない。
まぁ後々この認識のずれが、不幸な結果を招くというのもありがちなので
勇気ある人は聞いてもいいかもしれないが、必要性という点ではそんなに高くないだろう。
さて、今回のケースだと、私がデートと認識して事に臨んだ以上
私の方にソレの所有は認めざるを得ないのかもしれんが…
長くなったので続きは、面白く書けたら、次の龍樹記事で。
長くなったので続きは、面白く書けたら、次の龍樹記事で。
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