2012年2月26日日曜日

龍樹3

シェフからのサービス
この日はチャナマサラ、う~ん美味い。
この前より幾分ドライ、まぁ誤差ともいえる。
しかし美味すぎるな、この量が丁度いいのかもしれん。

サラダ。
最近、このくらいのクオリティーでないと
サラダを外で食べる気がしない。
相変わらずこのドレッシング最高!

コンソメ。
前に飲んだ時よりおいしい気がするぞ。
やっぱりコースでは、スープ大事。
でも単品で頼まないんだよね…手間暇かかってるのに
日本では金取れないなんて割に合わんよな。

牛肉のペシャワリーアチャール。
こちらはアラカルトから。
なんか牛肉のしぐれ煮の酸っぱスパイシーな版。
これおつまみ的に食べるのもいいけど
ライスとのコンビネーションが最高。
これでご飯二杯くらいいける!

ラム・ラージャ・カバブ
こちらもアラカルトから
スパイスをまぶしたラムをロゼに焼き上げた一品。
今まで食べた中で最高のラムの焼き物だ。
美味しすぎて悶絶した。
焼き加減も絶妙、肉の美味さが迸っている。

牛肉の赤ワイン煮ビーフカレー。
赤ワインの風味が肉の中に良く沁みてる。
味見させてもらったが濃厚なソースだが嫌な重さではない。
最近、この「嫌な重さ」について考えるが
実際その正体はなんだろうな。
やっぱり小麦粉や生クリーム、カシューナッツ類の使用過多かな。

ラムムガライ。
子羊のムガール宮廷料理。
美味いね~、ため息が出るほどに。
ラム肉自体の美味さを堪能するなら
間違いなく焼き物の方がいいが
これはやっぱりグレービーの美味しさが半端ない。
コクのある深い味と香りの構成、後から来る辛味、満足としか言えん。
やっぱり美食を求めるなら貴族の料理なのかね。

それをこのふわトロオムレツにかけて食べる喜びときたら…
最近、再びオムレツ道に入った私は
朝食にオムレツを練習しているが
いつかはこれくらいのオムレツを容易く仕上げたいものだ。

感動のあまり、デザート撮るの忘れていたが
この日も三種食べている。
ハルワ、ムース、ガトーショコラだったかな…。
デザートとこのチャイを飲むと
エネルギー充填完了のお知らせ。

注)今回の以下の文面は、普段より多分に妄想が含まれております。読まれる方は留意ください。





デートとはなんぞや…。

異性と連れだって一定時間行動を共にすることか?

否、ただ異性というだけでは足りん。

母親と食事に行っても、それを我々はデートと呼ばん。

というか呼びたくない!

イタリア人とかは「今日はマンマとデートさ、チャオ☆」

とか言いそうだが、これでも私は

腐りかけてはいても日本男児。

うちに潜む大和魂が、そのような軟弱そうな発言をすることを許さない。


では如何な異性か。

これは考えるに「のちに恋愛関係に発展しそうな、或いは既にそのような関係にある異性」である。

「いいお友達」との食事をデートと呼ぶことに

私は些かの躊躇いをもつのである。

紳士淑女諸君、デートという言葉に行為に、もっと幻想的で神秘的な価値を見出そうではないか。

現実ばかり直視していては、目が腐りそうな気がしないか。

男女関係における現実ほど、気分を沈ませるものはこの世にないのではないか

と、近頃私は考える。

もっと考えるべきことは、他に幾らでもありそうだが

それは私の問題ではない。

もっとも現実を見ていないキラキラした目の奴も

それはそれでムカムカするものだが、それも今は関係ない。



さて、ついこの間、Nagarjunaでデートをしてきた。

美味しいお店があるから食事にいこう、と誘った。

文字にすると、実に浮ついた、そして使い古されたセリフ具合に拍車がかかるが

実際このセリフの威力は絶大である。

上記の言葉を二分して「お店があるんだ。ご馳走するから~」と

いう風につかうと、まず失敗のない誘い文句になる。

それで失敗するようなら、自分の日ごろの行いを一度振り返ってみた方がいい。

石橋を叩きまくりながら渡る私が、どちらを用いたかはいうに及ばずである。


ただで美味しい食事にありつける、と私の誘いにのった

少々あさましいところのある女性は

だがそれなりに知的な雰囲気を蓄えつつ

浮ついた空気はないが洒落っ気がないわけでもない

10人に聞けば、5、6人はキレイと言いそうな

そういう人である。

彼女は私にとって、所謂「いいお友達」である。

「待てや、この野郎!さっきというとることちゃうやんけ!!」

という突っ込みを入れるのはまだ早い。

「いいお友達」からそれ以上の関係になった例など

古今東西掘ればいくらでも出て来る話ではないか。

まぁ尤も、それ以上に進もうとしても「いいお友達」の壁の前に涙をのんだ例の方が

きっと多いのだろうが、それも今は脇に置こう。

要は、これは各自の認識の問題であると思うのだ。

誘う側が、今後の展開に淡い下心を抱いていれば

その者にとってそれはデートであるし

この場合、誘われた方の認識などどうでもいいし聞く必要もない。

まぁ後々この認識のずれが、不幸な結果を招くというのもありがちなので

勇気ある人は聞いてもいいかもしれないが、必要性という点ではそんなに高くないだろう。



さて、今回のケースだと、私がデートと認識して事に臨んだ以上

私の方にソレの所有は認めざるを得ないのかもしれんが…

長くなったので続きは、面白く書けたら、次の龍樹記事で。

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